カッシーラーは『人間』のはじめのほうで,内省の終焉を説いている.現象学とか言って頑張って内省しても分かることは知れてる,というわけだ.けれども僕は内省の力を信じたいサイドの人間だ.内省によって世界の構造を捉える.そんないにしえの哲学者の夢を僕は諦めたくはない.
 ともあれ,内省にはうさんくささが付き纏うのは確かで,内省ベースの思考というのは古典に頼るのでもなければ,とても他人を巻きこめそうなものではない.だから内省を信じる,というのは個人的な信にならざるをえない側面がある.けれども,この世界でちゃんとしたエビデンスを持って論じられることは,あんがい少ない.物理主義者だって,全ては原理的には物理に還元できると言ってるだけで,全てを物理に還元して十全に論じる能力はない――つまり物理を学べば他はいらない,ということにはならない.だから内省ベースの思考にもまだまだ可能性はあるんじゃないかな.少なくとも僕はそう信じたい.

 そんな感じです.