帰省して実家であまりにやることがないのに気付いて愕然とする.コントローラは壊れててゲームはできないし,もしできたとしてもたいして楽しくないとも思う.読むべき本もほとんどない.ピアノは弾きたいものの,下手なので家族に見られるのが嫌だ.それに文章もまともに綴れる気がしないし,論文を読む気にもなれない.そこら辺を走ってくる気にもなれず,結局残ったのは退屈という気分で,退屈なだけに,どうしようもない.こんな時にひとはたばこや酒をやりたがるというのを僕は経験上知っている.確かに,酒を飲めば倦怠は吹き飛ぶだろう.けれどもそれはとんでもなく無駄な行為のようにも思う.僕たちは旅をする喜びを得るために旅をするわけじゃない.昔,この言葉を読んだとき,僕は愚かにも愚かだと思った.というのは,僕たちの最終的な物事の判定基準は快楽原則以外にありえないと思ったからで,それは確かにそうなのだけど,やはり何か理念を信じなければひとは生きていけないと,最近は思うようになった.つまり方便としての理念,というわけだ.とここまで書いてみて,すこし気分がよくなる.そんな感じ.