なんか最近1000年ぶりくらいに批評したい欲が高まってるんですが,肝心の論じたい対象がない.というポストモダン的状況に陥ってしまって,無を論じるという定版コースに進むわけにもいかず――そんなのは戦前に京都学派が嫌というほどやった――自分は何をやりたいんでしょうねえ,と寝転がりながら考えることしかできない.

そういえば友達が漫画批評サークルに入ってて,自分の言葉でちゃんと漫画を論じてて,それでもって評論なんてくだらないという謙虚な価値観も持ち合わせていて,凄いなーと思った.僕だったら絶対に誇りを持って論じてしまうし,ロランバルトとかラカンとか,そこら辺のキラキラネームを引用してしまうだろう.

とまれ僕は漫画にはそんなに興味はない.小説にもそんなに.じゃあ好きなのは何なのかというと,一部の現代詩と子供時代にプレイしたビデオゲームなのだけど,どっちも批評性があるとは思えない,というのも僕は詩やゲームの身体性が好きだからで,変に思想的に衒ったのはそんなに好きじゃないし,むしろださいとおもう.

じゃあ結局僕は批評不要論者なのか.ある意味ではそうだ.僕の思い入れのあるものにまとわりついている,僕固有の文脈は,僕にしか正しく理解できないし,ある程度言語化できたにしても,他人と共有するほどの客観的な価値があるものとは思えない.けれども,世の中には批評を通じて,見えてくる視界があることも確かで,僕自身,批評によって何回か蒙を開かれたことがある.というわけで,単にかっこいいだけじゃなく,他人の蒙を開くような批評をしたいと思ったのでした.

そんな感じです.ではでは.