2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

帰省して実家であまりにやることがないのに気付いて愕然とする.コントローラは壊れててゲームはできないし,もしできたとしてもたいして楽しくないとも思う.読むべき本もほとんどない.ピアノは弾きたいものの,下手なので家族に見られるのが嫌だ.それに…

友人が「一年前がついこのあいだのように感じる」と言っていて,僕は一年前というのは遠い昔のように感じていたから,意見が合わなかった.その時僕の念頭にあったのはベルクソンで,つまり,記憶の中の距離は,実際の時間上の距離とは違う,ということだっ…

とある会に入会したり,ささやかな詩が採用されたりするだけでも,うれしいものだ.それで生が救われるというわけでもないのに.ともあれ非-アカデミックな人文-知というのは,どこか秘密結社的な色合いを帯びている.フランスですら公には哲学として認めら…

カッシーラーは『人間』のはじめのほうで,内省の終焉を説いている.現象学とか言って頑張って内省しても分かることは知れてる,というわけだ.けれども僕は内省の力を信じたいサイドの人間だ.内省によって世界の構造を捉える.そんないにしえの哲学者の夢…

なんか最近1000年ぶりくらいに批評したい欲が高まってるんですが,肝心の論じたい対象がない.というポストモダン的状況に陥ってしまって,無を論じるという定版コースに進むわけにもいかず――そんなのは戦前に京都学派が嫌というほどやった――自分は何をやり…

ニッポンの経済政策は終わってるらしい.というか終わってる.けれども,経済政策が完璧な国なんて存在しないし,あれだけ完璧に成功しそうに見えたアベノミクスを支持していたクルーグマンも心変わりしてしまった.リドレーの『繁栄』とは何だったのか.あ…

研究室から帰ってきた後に何かを書こうとしても,書くことが無いことに気づく.それでもここ数日の悟りを得たような気分だけはやんわりと持続していて,何だってやれるような気分になっている. とりあえずゆるい自己分析をしてみる. 好きなもの:詩と思想…

ここ以外のたくさんの場所にも,僕の痕跡は残っている.時折それらを読み返してみると,僕は進歩しているのかしていないのか分からなくなる.もっともすべては無からはじまり無に還ると僕は考えているわけだし,人間は忘却するものだから,進歩なんてしなく…

原始偶然と絶対精神

この世にはなぜ悪が存在するのか,あるいは何故,世界がこのようなものとしてあるのか.その問いの答えが原始偶然である.原始偶然の概念はシェリングが創造し,九鬼周造が精緻化させた.ここでは,九鬼周造の原始偶然を扱う.原始偶然の考え方は,簡単に言…

本当に文章が書けなくなっている.音楽も絵画も料理もできないのに文章すら書けないのはつらいなあと思う.例えば今日,僕は次のように書いた. 哲学はドイツ観念論の時代に終わった,と言うと多くの反論が来るのは否定できないだろう.だが,西洋哲学はすべ…

積読をほとんど全て消費してしまって,読む本もなく,新しく本を買う気力もなく,やっと自由になったと思い,気付けば始まっていたKの続編をニコニコ動画で視聴し,紅葉狩りにでも行こうかと散歩に出て,永観堂を目指して南に向かった.白のモノクロームの空…