教養って一体……

 なんだかタイムラインが人文教養の話で盛り上がってたみたいなので軽くメモ.ざっとTLを眺めたところ,次の意見を否定するのにみなさん躍起なようだ.

 ・人文教養は役に立たないので不要.

 たぶんたいていの人が同意する重要な論点は以下の4点だ.

 a) 教養はあったほうが人生が楽しくなるひともいる,
 b) とはいえとりたてて個人の日常生活や仕事に役立つわけでもない,
 c) けれども無教養な集団と教養ある集団だと後者のほうがいいことをしそう,
 d) ただしどちらの集団がより多くの利益をあげるかはよく分からない.

 反教養主義の人たちは a) や c) を認めるにしても,b),d) から教養は不要との判断を下し,そうでない人たちは,逆の判断を下している.
 問題は,それなりの数の人が教養があっても大して人生が楽しくならないと思っていることにある.そのような個人にとって,教養を学ぶことはまったくの無駄になる.さらに d) が成り立つとするなら,その人が反教養主義になるのに十分な理由がある.
 ここで思いだすべきは,c) であり,要するに教養というものには正の外部性があるということだ.ここから,自分以外のすべての人は教養は学ぶべきとの結論を導くことができるわけだけど,このことをはっきりと言う人はなぜかほとんどいない.
 というのは,反教養主義者は c) と d) を見比べながら,教養を学ぶことによる(自分以外の人の)機会損失のことを考えているからだ.ここで僕のような人間がいつも思うのは,そもそも教育というのはたいていの人にとっては機会損失の塊で,そのほとんどが役に立たないということだ.人文教養に限らずとも,例えば,中高の理系科目で学んだことが役立つような仕事ができる人はそんなに多くはないし,体育や運動部の部活動が仕事で役立つことはまずない.にもかかわらず,理系科目を教える必要があるのは,将来,その知識が必要な学問や仕事をする人がいるからだし,体育や部活動が存在するのは,それが楽しい,あるいは善いことだと思う人がいるからだ.つまり教育というものは,個人の選択肢を増やすものであると同時に,たとえ個人にとっては無意味であっても,集団にはプラスに働くものである.
 そして人文教養は,選択肢はあまり増やさないが,集団にはプラスに働くものなのはほぼ明らかだ.このことをよく考えるべきなのだろう.