文章

 理系にはまともな文章をかける人が少ないと言われるが,私も書けない人の一人で,というと全くまともな文章を書けない人が怒るかもしれないけれど,四年間,四千字のレポートを何本も提出しまくって,最後には持ち前のレトリックを駆使して卒論を書き上げるような,文学部の文学系の学科のひとたちに強い嫉妬や憧れを覚えるのは確かなことで,実際に出会った文学部生がいくら遊んでばかりいて堅苦しい文章しか書けなかったにしても,この憧れは消えることはない,というのはもし私が文学部に入っていれば,いまよりもちゃんとした文章を書けるようになっていたはずで,微妙な文章表現に迷って徒に時間を費やすようなことも,少なくなっていただろうと思うからだけど,文学部生に嫉妬するのは何も,彼らが文章を書くトレーニングを間接的にせよ受けているからだけじゃなく,文学研究や哲学研究といったものにも強い憧れがあるからでもあり,そういうのは独学で十分じゃないかというひとは,他人の論文や批評をいくらか読むだけで満足して実際に研究をしたことはないひとではないかと思う,というのは文学や哲学の研究の大半がいくら理数系より頭を使わないものであるにしても,研究をするには時間がいるしそれなりの知識の蓄積も必要だからで,だからこそ彼らには嫉妬と羨望の念を抱くのである,と句点もなくここまで文章を綴ってきたのは,最近毎日寝る前に読んでいる柔らかい土をふんで,の長い文章に影響されたからで,巻末のインタビューによると優秀な文学部生はこの小説が面白すぎて困ると言っているらしいけれど,私は初読ではこの小説は全然面白いと感じられず,子細だがとりたててアクロバティックというわけではない描写を,緩急もつけずにただ続けているだけではないかと思い,陶酔感も何もなかったのだが,信頼できる筋の人が皆この小説を高く評価していたわけで,私はここでも強い劣等感に苛まれ,こんなに信頼できる筋の人と意見が分かれるのは吉増剛造以来だと思いながら,もう何周か読むうちに次第に陶酔感が立ち上がってきて,私の文章を読むセンスの無さに失望したのだった.