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 メールの着信があって,スマートフォンがぶるぶる震えだした時に,僕を救ってくれるかもしれないような予感がして,それからそんなことを思ってしまった自分を恥じたりする.ずっと昔,なんとなく幸福だった頃は,自分よりも不幸なものが大勢いるだけで自殺するのに十分な理由になると思っていたけど,最近は自分よりも幸福な人間がうらやましい.僕は幸福になる努力はできないから,この世界はもっと簡単であってほしい.ゲームみたいに,僕の能力に合った課題だけをやっていればいい世界であってほしい.そんな感じの不安で窒息しそうな自分がいる一方で,自信に満ちあふれている自分もいて,僕ならそれなりの数の企業の面接に通るんじゃないかという根拠のない自信がある.僕にはリーダーシップは皆無だけど,いざとなれば発揮できるだろうという自信.この齟齬はどこから来たのだろう.ちょと考えてみると答えはすぐに見つかった.研究はすごく大変だと僕は思っていて実際そうなのけど,就活には具体的なイメージがあまりわかないし,僕は理系には少ないそこそこのアーリースターターなのだからなんとかなるだろうという感覚がある.それから説明会の欺瞞に満ちた優しさが感性にはやっぱり優しく響くという側面もある.要するに,いまから約一年後,本格的に就活がはじまるまでは,就活はそのイメージに反してそこそこ楽しいものかもしれないのだ.ともあれ,説明会に出てすぐに気付いたのは,特段技能を必要としないものに限っても世界には色々な仕事をしているひとがいて,彼らの全員と対等に戦うことは誰にもできないということだ.そんなことにいまさら気づくのは遅すぎると思われるかもしれないけど,僕の直感だと,このことに気づいているひとはあんがい少ない.だからみんなカリスマ的なリーダーを求めるし,リーダーの意見を絶対視したりする.この気づきが僕を安心させると同時に,僕たちがつねにすでに投げ込まれている世界や社会といった不気味な対象を否応なく意識させ,この世界の知識は,この世界でしか役に立たないのに,僕はこの世界に生きているから,この世界の知識で僕を救わないといけないんだと思ったりする.