生成

 自分が変わり続けている,というのは生成を拒否したい側からしても,否定しえない事実で,ここに書いたすべてのことが,なんだか古めかしく,つまらないことのように思える.とはいえ僕の何が変わったというのか.ひとつは気分を制御するのが以前より難しくなったということだ.美に到達し得るような心地よい寂しさはダイレクトな死にたさに変わってしまった.それで泣きながらメンヘラっぽい詩集を朗読したりする.あるいは,ぼーっとしていたら昼の三時を過ぎていたなんてこともよくある.傍から見ると完全に馬鹿だ.けれども一方で,何歩か進歩したような気もする.実際,知ってることは少しずつ増えていってるし,それに伴って,世界観の微調整は確実に行われている.今年の読書を振り返ってみると,シェリングヘーゲルが僕に大きなヒントを与えてくれたように思う.もっともそれは理系の人からすると,実にくだらない知恵で,だから僕はシェリングヘーゲルについて,理系の知り合いに語ることはできない.ただハイデガーになったような気分で,存在忘却を辛うじて逃れたつもりでいる.それから,死にたくなる.