テレビを観ること

 大学に入ってからニュースを全く観なくなった.それは下宿してからテレビを観なくなったからで,webニュースを毎日見る程の意志の強さもない僕は,社会についての情報を摂取することをやめてしまった.僕が社会情勢に触れる唯一の機会といえば,ツイッター上の話題なわけだけど,僕の親しい友人もみんなニュースを観ないので,友達のうちでは僕は社会についてよく知っているほうだったりする.要するに今時の賢明な若者は明らかな機会損失に見える行為はしないのだ.
 というわけでふだんテレビを見ない僕だけど,帰省した時にはリビングのテレビが点いているわけで,そこで気付いたことが二つある.
 一つ目は,観ているうちに,バラエティ番組でのタレントの話し方が,リア充でマジョリティっぽい知り合いたちの口調にそっくりなことで,若者のテレビ離れとは何だったんだと思うとともに,集団言語というものは文学や国語の授業の中ではなく,こういう場所で作られているのだという事実に今更ながら愕然とした.テレビは今でもニュースを含む多くの社会常識の製造現場として機能しているようだった.
 二つ目は,テレビを観るのはあんがい楽しいということ.テレビさえあれば文化的と言えるのではないかと思えるくらい,それは様々な世界の側面を垣間見せてくれる.もちろんテレビが映し出すものには脚色があったり一面的だったりするのも事実だけど,そんなことはいまどきの賢明な視聴者なら百も承知のことだろう.それよりここで重要なのは,テレビを観ることで,楽しみながらそれなりの常識を身に着けることができるということだ.
 そんなわけで,テレビはよくできた文化装置だと思ったわけだけど,下宿に戻ってみてテレビをつける気にはなれなかった.それは生活習慣のせいでもあるし,実家ほど退屈ではない場所にいると機会損失の概念が頭を掠めるからでもある.実際のところテレビを点けっぱなしにして部屋の背景にするよりは,オーディオブックを流しっぱなしにする方がQOLが上がる気がするし,テレビを観るよりはネットサーフィンの方が僕にとって有意義な時間を過ごせる.というわけで僕はテレビを観ないのだけど,だからといってべつにテレビを観る人を馬鹿にしてるわけじゃない.とはいえ,やっぱり僕個人としては,みんながマイナー化して,どんどん政治経済思想以外の社会常識を忘れていってほしいので,みんなテレビを観るのをやめればいいと思う.