幸せの最小のイメージ

 思い返してみれば,昔から,幸せの最小のイメージというものに興味があったのかもしれない.何重にも守られたありふれた幼年時代,うとうととしているときにふと見る抽象的なイメージの記憶,友人とのちょっとしたやり取り,あるいはドストエフスキー村上春樹が置いてあるどこにでもある本屋.そういったものが存在するだけで,とても幸せな気がする.それから去年の今頃,ソローキンの『青い脂』とウエルベックの『地図と領土』を一気読みした時は,現代最高の文学を浪費したと思い,今僕は,世界で一番幸せなんじゃないかという気がした.
 それさえあれば生きていけるという対象を持つこと.みんなそんなものの一つや二つは持っているだろう.ある人にとってはそれは,日常系アニメで,べつの人にとっては,マルテの手記だったりするそれ.読書をしたり,他人とかに興味を持ったりすると,そんな対象はどんどん増えてゆく.けれども一歩間違えると,スノッブ的になってしまって,すっかり見失ってしまうようなそれ.僕はそんな対象を収集するのが好きだ.そうすることで複数になれるから,世界の色々な場所に秘密基地を持てるから.けれども一方で僕の意識――無意識はともかくとして――にとって,いま・ここで向き合える対象は単数でしかありえない.それはとても惨酷なことだと思う.