半端

 最近になってようやく僕は中途半端に生きることができるようになったと思う.というのは,それまでの僕は色々なものにそのたびごとに区切りをつけないと気が済まなかったからで,ふたつある家の鍵のうちのひとつを部屋の中で失くしたまま外に出るのには耐えられなかったし,自分が面白いと思うことはぜんぶ頭の中に入っていないと気が済まなかった.それから,他人に不快感を与えることを極度に恐れていた.
 新学期がはじまって忙しくなって,研究室メンバーも増えて会話が増えてきたところでやっと,そんな諸々のバイアスから解放されて,僕は色々なものを中途半端なまま片付けることができるようになった.それは僕が読書をほとんどやめたからかもしれない.現実世界の色々なものを中途半端にしたまま,詩や物語の世界に長時間没入するのはけっこう難しいわけで,ほとんど本を読まなくなった今なら,現実世界により大きなリソースを割けるぶん,中途半端にしておいてもあまり気にならないのだろう.ツイッターをやめることによる健康があるように,読書をやめることによる健康もあるのだ,というか,大半の人が読書をしないのは健康のためという気すらする.読書が反社会的行為なら,読書によって不健康になっても不思議じゃない.
 とまれ,読書をほとんどやめるということは,僕にとって,生成変化をほとんどやめるということでもある.僕は一日に何冊も本を読むことしか能のないような速読家はほとんど軽蔑してる――彼らのうち,どのくらいのひとがちゃんとした学術書や詩集を読めるのだろう――のだけど,僕自身,去年は二百冊くらい本を読んでいて,これだけの本をそれなりの精度で読めるのは本当に幸せなことだと思った一方で,本を読むために置き去りにした現実世界のことを思うと心が重くなりもしたし,もっと読書の時間を与えてくれない世界を恨んだりもした.けっきょくそれはある種の不健康だったのだけど,読書のおかげで僕の視界はめまぐるしく変転したし,仮に就活なんかをしていたらその後の人生で絶対にたどり着けなかっただろう地点にたどり着けたと思う.
 そんな地点を手放すのは惜しい気もするけど,これまでのようなペースで読書していたらまともに研究できないのは確かだし,修了して働きだしたら手放すしかないものだ.これからの僕はずっと,ひとりの,無知な人間として世界に対峙して,中途半端に他者と関わり,中途半端に読書をして,健康に生きるのだろう.それは仕方のないことだ.