瞬間

 数百億年後にビッグクランチが起きるという俗悪な記事を読んで,そういえばはるか未来には人類は滅ぶんだということに思い至り,なんだかすべてが空しいような気分になってきたのだけど,しばらくたつと,たとえ人類が永遠のものだったとしてもすべては空しいし,突き詰めれば自分の触れうる限りのこの世は感覚入力と気分だけでできてるんだから,けっきょくのところすべては気晴らしなんだと思い直したりする.
 複雑な数式を解く時に,既知の定理の証明を構成する諸パーツは気にしないけど,いざその証明を思いだそうとすると,完全に再現できなくて,自分は本当は何も分かっていないと思うような経験は誰にでもあるものだけど,それと同じく,ある事柄について首尾一貫した意見を持っているつもりでも,ワーキングメモリの容量は限られてるし,ひとは欲しいときに欲しい情報を長期記憶から引き出せるようにもできてはいないから,ひとはしばしば,いま・ここの意識に与えられたものだけで考えを進めて,互いに矛盾する意見――瞬間の真理――を持つようになるものだ.
 そんなわけで,人類が滅んでしまうのなら,なんだかすべてが空しいし,その逆も成り立つ,というのは僕にとっての瞬間の真理だったわけだけど,数分後には,すべてはむなしく,すべては気分の問題で,だからすべては気晴らしだという身も蓋もない地点――僕は昔からそこにいた――に戻ってきた.いつもはそんな思考の枠組みのなかでいかにしていい気分になるかを考えるのだけど,今日はむなしさだけが残っていて,すべては気分の問題だということについて,身体が部屋の中に溶けて,空気を構成する物質になってしまいそうな気分で考えている.