自分探し

 自分探しを馬鹿にするようなことを言うひととは仲良くなれないなと思う.というのはそんなことを言うひとたちはみんな人生にちゃんとした足場――精神的なものであれ物質的なものであれ――を持っているわけで,自分のことは棚に上げて,自分探しをするような人生にほとんど何の足場のないひとたちを馬鹿にしているからだ.
 将来何者になるか,あるいは自分は何者になりうるのか,というのは人生おいて最も重要なことのひとつで,自分探しというのはそのためのヒューリスティックな探索法なわけなのだから,軽々しく本当の自分なんて存在しない,などと言って自分探しを否定するのは,君は何も知らなくていいし現状で満足するべきだと言ってるのに等しい.
 それに自分の可能性に限界があるのは,自分探しをしている本人が一番自覚してるはずだ.例えば,小さいころに音楽や絵画のトレーニングを受けてないなら,そういう方向で生きていくのは難しいし,高校数学がまったく理解できなかったひとがいきなり数理科学を志したりするのもかなり難しい.けっきょくたいていのものは下手の横好きで終わってしまうものだ.
 自分探しというのは,そんな中で必死に別の人生を模索する行為であり,逃避とか怠惰に終始するようなものではないのだから,余剰なリソースがあるのならみんな自分探しをすればいいのだ*1

*1:まあとはいえ「自分探し」という言葉にしばしば伴う暗黙の前提があまりよくないものなのも確かだ.そういう暗黙の前提が嫌いなら,自分探しをディヴ探しとか,此性探しとかに言い換えて考えるといい.