振り返って

 ふとしたきっかけで人生を振り返ってしまう瞬間というのは誰にでもあって,自分の場合,それは数学検定の内容がほとんど高校数学だと言ったことが引き金だった.考えてみれば,高校の科目というのは本当に簡単なことしかしていない.けれども高校に入った途端に大学レベルのカリキュラムがあれば,それはそれで定義ベースのものの考え方が理解できずに落ちこぼれていたかもしれない.とまれ思ったのは,当時の勉強のなかではっきりと役に立ったと思えるのは英語くらいで,それ以外は以降の人生にほとんど何の影響も及ぼしていないんじゃないか,ということで,文章の読解力は自分で読書して身につけたし,数学のちゃんとした知識は大学に入ってから獲得したわけで,そう考えると,高校の間は若くいられる貴重な時間を浪費していたんじゃないかという気分にもなる.そんなことを考えてから今度は,僕はもう勉強だけをしていればいいような子供ではないんだと感じて,世界の果てにたどり着いたような気になった.研究室にいると,自分の頭がどれだけ悪くても,既知と未知の境界線にはそこそこ敏感にならざるを得ないわけだけど,研究室に入る前は,何重にも世界の最先端からは遠ざけられていたから,そんな経験はなかった.研究者になるのでもないかぎり,いま,僕は幼少期から続いた成長の極点にいて,やっと世界の果ての一端に触れることができたけど,これから数年もすれば僕はそこから没落していくだろうし,そうなれば今度は世界を構成する名も無い大衆になってしまうんだと思う.そんな思考も通りすぎると今度は,いきなり発想が独我論的になって,世界の果てなんてどこにでもあるんだと思い直す.世界の果て.例えば僕は高校の頃,ツァラトゥストラとか論理哲学論考を読んだとき,それを見たような気がした.大学に入るとアカデミックな世界に自覚的になって,そう簡単に世界の果てに触れたような気分にはなれなくなるけど,いつだってすべては空であるという考えに戻ってくることは可能で,けっきょく僕は世界の果てに触れていながら,世界の果てに触れていない.なぜなら確かにすべては空かもしれないけれど,他方で,現実はすべては空であるといって片付けることなど,とてもできないくらい複雑なものでもあるのだから.いま,僕は研究室への階段の一段目に足を掛ける.僕の視界に入っているのは白い階段だけで,それ以外には何もなかった.だから僕の世界には階段しかなく,僕自身が階段になったような気分で,階段を昇る躍動感――とはいえ誰の躍動感なのか――を伴って,世界はリズミカルに流れていった.その数分後,僕は研究をはじめている.