わくわく

 アクションゲームの魅力をひとことで説明するならおそらくわくわく感とゆことになるのだろうけど,考えてみれば,このわくわく感は歴史上,不当に低く評価されてきたのではないか.いや歴史なんてほとんど知らないけど.とまれ,わくわく感がさいきんの僕には圧倒的に不足している.というのも小説を読んでも詩集を読んでも哲学書を読んでも,いつも既知の何かと比較しながら考えてしまうせいで,内容を純粋に楽しめないからだし,そもそもわくわくする内容の文学作品とか詩集とか哲学書というのはあんがい少ないのだ.一方で娯楽(特にアクションゲーム)に眼を遣ると,そこにあるのはわくわくすることだらけではないか.どうもハイカルチャー気取りのひとたちはわくわくを軽視してるんじゃないか,と言いたくなるくらいの好対照である.このわくわくはさしあたり,九鬼周造の風流正八面体を参照するなら,太-笑-華のなす三角形とでも言えようか.なるほど繊細さを欠いた感情ではあるが,だからといって美的じゃないとは限らない.実際,風流正八面体の中に位置づけることができるのだ.とはいえわくわくには正八面体のなかには収まりきらない,動的な側面があることも正しいだろう.それはアクションゲームの興奮感を知っているひとなら誰しも気づくことである.次に何が飛び出てくるか分からない,未知への期待と興奮.それゆえわくわくとは,偶然を前にした運命愛である.
 
(同時にわくわくは希望の感情を含むがゆえにスピノザ的には悪である.わくわくは搾取の対象にもなり得る.ブランド製品の魅力や,いたずらに意識だけ高い内実の無い自己啓発セミナーソーシャルゲーム…….とすれば,よい運命愛と悪い運命愛を区別する必要があるのではないか.)